勉強はインターレスト
わたしがフランスに行った際に出会った、シュベックという学生がいます。
日本で偶然出会った、民俗学者のプルネルさんという人が、「○日に、アンヴァリットの塔の下に立っていたら、十二時きっかりに、シュベックという学生がやってくるから、パリを案内してもらいなさい」と手配してくれたのです。
シュベックは、ウィーンから勉強しに来ていた学生でした。
わたしの下手くそな英語でも、何とか意思疎通ができました。
いろいろ案内してもらって、「勉強の時間だから、そろそろ帰らなきゃいけない」というので、「勉強はインポータント(大切)だから、行きなさい」と別れたところ、しばらく行って、シュベックが戻ってきて、「勉強はインポータント(大切)ではなくて、インターレスト(おもしろい)なんだ」とわたしにいいました。
わたしはすぐに、「ああ、そうか、はずかしいことをいったな」と思いました。
そして、「ああ、勉強はインターレストなんだ」と深く思ったのです。
フランスにやってきた日本の男を案内することも、勉強をサボって来たわけではなくて、自分で考え、おもしろいと思ったから来たのです。
「学ぶ」ことは、おもしろいことなのです。
わたしはそのことを、彼から学びました。
学問は、本来おもしろいからやれるのです。
詰めこみ式の試験のためにだけやるのだったら、おもしろくないのです。
学校がおもしろくないとしたら、「試験」のための授業をするからだと思います。
この「試験」という、逃れられぬものに対処する、良い方法があればいいのにと思います。
(安野光雅『かんがえる子ども』pp.75-76)


